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受け渡しをする約束の帳合米取引で成立する米価は、現在の米価よりも高く形成されるであろう。
このような状況下では、米問屋は、喜んで米を仕入れ、同時に、帳合米取引で売っておく行動をとる。
現在で言う、売りヘッジである。
帳合米取引は、さらに、使いこなされていった。
来年の新米が、高値を呼びそうだと考える米問屋は、帳Aロ米取引により、あらかじめ買っておけばよいであろう。
買いヘッジである。
次のステップは、帳合米取引による投機である。
帳A口米取引で米を買っても、値が上昇した時点で売れば、値鞘が稼げ、かっ、現米の受け渡しは不要となる。
こうして、商人達は、幕府から見返りに与えられた帳合米取引を、ビジネス・チャンス拡大の方向に活かしていったのである。
それから、約300年が経過した。
1970年代に、近代的装いをまとって、シカゴで始まった先物取引が、日本にも導入され、今、新金融取引のーっとして確固たる地住を占めるに至っている。
しかし、新しい取引ではない。
新しいのは、取引所の立派なビル、コンピューターによる帳簿作成といった外装だけであり、中身は変わっていない。
せめて、使い方くらいは、大阪商人たちより、賢くありたいがいかがなものであろうか。
第3話両替商と為替徳川幕府は、各地に天領と呼ばれる幕府直轄領を所有していた。
ここからあがる年貢米や物かねびきや〈産は、大阪に集荷され、商人に売られ、現金に換えられた。
現金は、金飛脚と呼ばれる人々により、人馬を使って江戸に送られていた。
諸大名の場合、年貢米や物産は、大阪の蔵屋敷に集荷され、商人に売られ、やはり、現金にされた。
ここにおいて、現金が大阪から江戸へ流れる一大潮流が発生する。
金貨や銀貨であったから大変であった。
明暦3年正月18日、本郷の裏本妙寺を火元とする、「明暦の大火」は、丸1昼夜、燃え続け、江戸を焼土と化した。
-万石以上の屋敷500余り、旗本屋敷770余り、民家に至つては、その数知れず、10万7千余人両替商と為替の焼死者を出した大災害であった。
ここにいたり、幕府は、その復興費の一部として、大阪城にあった銀1万貫目(200億円)を、金飛脚を使って江戸に逸らせたが、300頭の馬の行列になったそうである。
そのうち武士階級は50万人といわれる。
武士階級元禄期の江戸の人口は、約100万人、は、今でいうと、政治家や官僚であり、非生産階級である。
つまり、物を作らず、消費する人々の集合が江戸であった。
したがって、大阪商人にとり、江戸は最大の顧客であり、この結果、物産は大阪から江戸へ、現金は江戸から大阪へという、これまた、大きな潮流が発生する。
物産の輸送はやむを得ないものの、現金の、大阪から江戸へという流れと、江戸から大阪へという流れを、なんとかうまく処理できないかということで生まれたのが、「為替」という制度であった。
現金を使わず、手形という紙片で決済をすませる方法である。
これであれば、千両1枚の紙で受け払いができ、江戸期の商業は、一大飛躍をとげたのである。
箱も、大阪と江戸との間で、現金決済が盛んになると、両替の問題が日常化した。
江戸期を通じ、大阪は「銀」、江戸は「金」の世界であったからである。
金貨と銀貨を交換する比率をいくらにするかが、両替の問題であり、両替商の存在が、為替制度を有効に機能させる基本であった。
寛文10年(1670年)に、幕府が、両替商の中から信用ある者10名を選ぴ、両替商という業界の総元締めとしたのも、このような観点からであった。
この中の筆頭は、天王寺屋であり、鴻池や、泉屋(住友)の名もあった。
こうして、両替商は、両替と為替を扱うことになった。
これら両替商は、大名貸しも行なっていた。
銀行の始まりである。
元禄期の通貨は、大きく分けると、金貨と銀貨と銭である。
この3つの通貨には、一応、法定相場(換算比率)があった。
金貨である小判1両が、銀60匁あるいは、銭4貫文(4000文) に相当するというものであった。
現実には、需給関係等で変化する変動相場制であった。
ピンとこない。
現在、米価は、平均的にみて10キログラ小判1両、銀60匁と言われでも、5500円である。
米一石は、経済史家の研究によると、当時の米側は、ム当り143キログラムなので、一石当り、約8万円である。
一石当り、銀40匁から50匁なので、真中をとり45匁としてみる。
そうすると、銀1匁は2000円と計算される。
これをもとに、法定相場を現在の金額で示すと、前頁のようになる。
両替商たちは換算に当り-両当り銀何匁という具合に、金貨1両に対し、銀貨、銭がいくらという建値方式を採用していた。
「1両」を「1ドル」に、「銀何匁」を「何円」に置き換えれば、外貨両替である。
江戸と大阪間ではなく、日本と外国といった2国聞の資金決済を、現金の輸送によってではなく、為替という制度で行なう業務ということになる。
外貨両替を、行なう場が、外国為替市場である。
デリパティブ化が始まった。
デリパティブとは、何か元になるものから派生してきたものである。
外国為替市場の場合、元になるものは、金融の世界では、外国為替市場で、最も早く、はっきりする。
売買されるものが、1ドル札というと、より、イメージが元になるものだからであり、米市の場合の現米に相当する。
円とドルといった通貨そのものである。
一万円札とか米市で、帳合米取引という先物取引が生まれたように、外国為替市場でも、「将米、1ドルを何現在では盛んに行なわれている。
企業が銀行と、円で売買する」という約束をする先物取引が、この先物取引を行なった場合、為替予約と呼ばれる。
したがって、為替予約は、先物取引でありデリパティブである。
第4話目覚めた頭取銀行は、預金者から預金を預かり」のお金を貸付けて、利鞘を稼ぐことを業としている。
メーカー等の、たとえば、エンジンを作るとか、パソコンを作るとかして商売をしている業種に比べると、非常に単純、簡単な商売である。
それにもかかわらず、我国の銀行の多くは、商売をうまく行なうことができなかった。
だからこそ、山のように不良債権が積み上がり、収益もあがらなくなっているのである。
なぜ、うまく行なうことができなかったのか。
この商売が、複雑で、それゆえ難しいからで。
6ヶ月定期預金を金利2パーセントで預かって、そのお金を、6ヶ月間、金利3パ−セントで貸付ければ、1パーセントの利鞘を稼げ」これは複雑でも、難しい話でもない。
小学生でも理解できるし、小学生が頭取になっても、銀行は安泰であろう。
ところが、6ヶ月定期預金を、金利2パーセントで預かって、そのお金を、1年間、金利3パーセントで貸付けるとなると、難度は、突然高くなる。
最高級の頭脳を持っている人でも、容易ならざる問題となる。
この問題のポイントは、今日から6ヶ月間はよいとして、6ヶ月後どうなるかという点にある。
預金者の中には、6ヶ月後に預金元本と利息を受け取り6ヶ月定期預金をしたのだから、儲けたいという人が出てくるであろう。
銀行は、この払い戻し金をどこから捻出するのであろう。
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「預金の払い戻しが発生したから、6ヶ月間返済日をくり上げて借りた人は、1年間の借入れだから、返して下さい」というと、契約違反である。
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